日本の天皇陛下、及び、1億3千万人の国民の方々

そして日本の全てのクリスチャンたちへ


( 2012. 9 )

    神は日本を愛しておられます。その強い愛に勧められ、すでに2006年、日本に神のメッセージをお伝えしたことがあります。もし、その時お伝えしたメッセージの通り履行していたら、日本が今のような困難や難関に逢着することはなかったでしょう。(参照:神はなぜ日本にキリスト教殉教者20~30万人の血を流さなければならなかったのか今再び、神の愛の強い勧めにより、日本の天皇陛下、及び、1億3千万人の国民の方々、そして日本の全てのクリスチャンたちへ、主の御言葉をお伝えするものです。

    1992年の夏、神の御言葉に従って日本を訪問したことがあります。その時、上野公園に行った際、突然わけもなく涙がこみ上げ、止めどなく泣いたことがありました。その時は、なぜ涙が出るのか知る由がありませんでしたが、しばらくして、それが日本に向けられた神の愛、愛情の涙であることを悟るに至りました。

    日本を愛する神の愛は切実であられます。それは、日本が20~30万人という殉教者を輩出した国だからです。その数は、キリスト教がローマの国教となるまでの300年間、カタコームで殉教した数とほとんど同じです。彼らの願いは何だったのでしょうか。また、死をも辞さずに残したかったことは何でしょうか。それはまず、神を知るようにしてくださったその恵みに対する感謝と、私の国の人々も神を知るようにしてくださいという願いが根底にあったからではないでしょうか。神は、殉教者たちのその願いの通り、約束を守ろうとされているのです。

    殉教の血とは、きれいな水で汚れを洗い流すように、キリスト教が日本に永遠に安着する前に、古代からの数多くの日本の罪悪を洗い流し、清らかにするための作業だったのです。今はたとえ偶像の国であろうとも、すでに神は、殉教者一人一人の血によって日本の罪悪を洗い流し、日本の上に、神を信ずるキリスト教国家を立てようと計画しておられます。こうした神の計画に従順し、立ち上がり、成就すれば、日本は貴重で尊い約束の民族となるのです。しかし、不従順する際は、数知れぬ国家の災難、禍…等により、国家存廃の可否すら予測できません。なぜなら神は必ず計画通り、いつかは日本をキリスト教国家として建てようとされるからです。これが日本に対する神の御心であり、預言です。

    神の御言葉は、点の一つまでもその通りに成就される、強力な権勢、力です。それは、イスラエルの歴史を通し人類に立証されています。即ち、神の御言葉通り生きるときは福を、その御言葉を離れて生きるときは、禍、御怒り、呪を与えると、神と民の間に結ばれた契約の通り、今も施行されているのです。

    従って、人類歴史上、イスラエルのように苦難と逆境の中に生きてきた民族はないでしょう。紀元後二千年の長い歳月を、あちこちの国にばらばらに散らされながらも崩れることなく、その民族の伝統、文化をそのまま維持してきたのは何だったのでしょうか。それは、神の御言葉を立証させる ‘見本’ の民族だからです。

    即ち、神の語られた御言葉が点の一つに至るまでどのように成し遂げられ、成就したかを、二千年を通して立証させた民族なのです。ですから今日、現代の人々は、聖書とイスラエルの歴史を通し、神が生きておられることを、見ようとさえすればいつでも見ることができるのです。このように神の御言葉は、点の一つまでその通り成し遂げられ、成就されます。故に今こそ日本は、キリスト教国家として建てようとされる神のみ心に符合すべき時であります。

    従って、今日の日本は、殉教者の聖なる血によって救いの約束を受けた国であるゆえ、否応なく、選択の余地なく、今まで仕えてきた偶像を早く捨て、神の懐に帰って来なければいけません。神はその日を切に待っておられます。しかし、その前にまず、日本が解決しなければならない多くのことが残っています。

● 報いの法則とは?

    万物を創造された神は、人間を神のかたちである愛によって創造しました(創 1:27)。従って人間は誰も、創造の構成要素である愛の中で生きるとき、体の健康、平安、喜び、繁栄、安息…等によって、幸せに暮らすことができるのです。一方、創造秩序から離脱し、肉の行ない(不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、(ガラテヤ 5:19~21))等を行うときは、患難、病魔、苦痛、絶望、戦争…等の災難によって、各個人や家族、社会、国家は、長く続かず没落するか壊れていくのです。従って、全ての人類、国家の没落の原因は全て、神が立てられた法である愛の行ないから離脱したことによるのです。

    これをもう少し具体的に人々の生活に適用すると、第一、自分の隣人、隣国から、呪い、悪口、恨み、怨声を受けたことが原因で没落するのです。神の属性の中の一つが、無実の罪を明らかにされる神だからです。従って、人間たちの怨み、怨望、呪…等は、その声を聞かれ公義によって審判されるからです。例えば、誰かが無実の罪のくやしさを哀訴すれば、いつかはそれに対する公義の審判と判断が成され、無実の罪を負わせた者は、それを解決しない限りその代価をそのまま受け、肉体の病や一家の没落、訳のわからない呪…等の禍によってその価を支払わなければなりません。それは、個人はもちろん国も同じことです。従って、隣人を自分の事のように愛することで、個人や国を長く保っていけるのです。

    第二に、自分自身の判断(さばき)、定罪、不平、不満、呪によって、自ら駄目になり滅びていくのです。聖書には、何を植えても、それをそのまま刈り取る法則があります。従って、自分が訳もなく行なった判断、さばき、推察…等は、そのまま人から自分が判断、さばき、推察されるのです。不人情、非情、冷笑、利己心…等も、そのまま、自分が行なった分だけ自分に返ってくるのです。また、奪った者は奪われ、騙した者は騙され、人を呪った者は自分がその呪いを受け、祝福をした者は祝福がそのまま自分に臨むのです。不平、不満は自分のかしらにそのまま落ち、真と真実は、真と真実そのまま、自分に福として帰ってくるのです。

    このように聖書には、血は、その血を流した者に必ず要求するとあり、何を植えてもそのまま刈り取る、報いの法則があります。それも、人の物を奪えば、奪った物の4~7倍、または、77倍まで返さなければならず、負債を負った者は、その借りを全て返すまで債権者の従属人へと陥るのが、神が制定された法、報いの法則なのです。それで聖書には、愛すること以外は如何なる借りもあってはならないと念を押しているのです(ローマ 13:8)

    全ての人間と国は、こうした報いの法則に従って興亡盛衰が成されています。そのため国家は、他の国をむやみに支配、侵略してはならないのです。この世は、力の論理で意のままにしたとしても、それに伴う血の代価は必ず支払わなければなりません。それが真理です。

    現在、ヨーロッパが直面している金融大混乱は、ヨーロッパの危機を知らせる神の最後の警告のラッパです。ヨーロッパのあらゆる国は、昔の栄光と栄華をもう一度再現しようと努力はしているが、すでに病にかかり、老いて、内容がないという印象を拭い去ることができません。特に植民地統治をした国家であるポルトガル、スペイン、イギリス、オランダ等は、数多くの努力と意志にもかかわらず、暗礁に乗り上げた船が徐々に沈没して行くように水面下へと沈んで行くのです。暗礁とは、何百年前から植民統治を受けた国家からの怨み、怨望、怨声、呪…等を言います。聖書には、あなたがたの罪が、この良い物を拒んだのだと記されています(エレミヤ 5:25)。このようにヨーロッパは、植民統治を受けた国々の怨み、怨望、呪…等によって、国家繁栄に足首をつかまれ沈みかけているのです。

    ヨーロッパが今の危機から脱出するには、報いの法則により、自分たちが行なった行為をすべて返済しなければなりません。もし、その借りを返せない場合には、今日のエジプト、イラン、イラク…等のように、一時、燦爛たる文化と栄光を享受した古代の覇権国家が、今は信じがたいほどしがない国家となったように、ヨーロッパも百年後くらいには、昔の栄華と栄光がとても信じがたいほどの後進国へと転落することでしょう。

    しかし、ここでもキリスト教国家と非キリスト教国家の差があります。即ち、キリスト教国家は、イエス・キリストを信じるその信仰によって救いの恵沢が与えられるのです。それは、ドイツの歴史を通して人類に立証しています。ドイツは、第二次世界大戦を起こした戦犯の国であると同時に、ユダヤ人600余万人を残酷に虐殺した国です。

    勿論イスラエルも、イエス様を排斥し十字架につけて殺した罪の代価によって、全民族が二千年を国がなく彷徨しても余る罪があったのです。それで、600余万人の血を流すことで初めて、その罪の価から解放されたのです。しかし意外なことに600余万人の虐殺は、キリスト教国家であるドイツのヒトラーによって施行されたのです。このようにして、創世記に記された御言葉通りに成されたのです。(創 9:5~6)

 ”人の血を流すものは、人によって、血を流される”(創 9:5~6)

    今日、ドイツが600余万人を虐殺しながらもどうして大国として健在するのかは、大変重要な神学の観点です。もしも、ドイツがキリスト教国家でなく異邦宗教国家であったら、大国として健在することはなかったでしょう。血を流した国は、呪により、如何に努力をしても効力を得ることができないのです(創 4:12)

    即ち、その国の良い物がすべて怨みと怨声によって塞がれてしまうのです。しかし、ドイツはキリスト教国家であったため、イエス・キリストによって ‘救い’ を得たのです。救いの中心は、イエス・キリストを信じる信仰と、また、国民一人一人が本当に悔い改めをした結果です。それと同時に、彼らはできることなら何でも罪の価を支払い返済することで、過去をきれいに整理して、罪から自由となったのです。

    ドイツが、今日のように救いの恵沢を維持するには、必ず注意するべきことがあります。第一に、イエス・キリストに対する信仰が落ちてはならず、第二に、新ナチズムを絶対に許してはなりません。即ち、ヒトラーのアンコールを斉唱する運動が起こるなら、今までの悔い改めは無効となり、即刻600余万人の無念の血の価はもちろん、第二次世界大戦による罪悪の全ての血の価まで再び帰って来て、ドイツは如何なる努力にもかかわらず、急速に没落してしまうでしょう。これは恰も、消えた債務者が再び現れれば、債権者は当然債務者に対し借りを返せと要求するのと同様です。ドイツは、これを必ず心に刻むことによって国家の没落を防ぐことができるのです。

    日本もやはりドイツと同様、戦犯の国であり、歴史的にもアジアの多くの国に負債のある国です。特に韓国や中国、東南アジア、そして真珠湾攻撃によって唯一アメリカに負債のある国です。その罪悪は、20~30万人の殉教の聖なる血をもっても塞ぐことができず、被害国家の怨み、怨望、呪が、墨のように真っ黒に日本の空の隅々まで覆いかぶさり、日本に来るあらゆる祝福や良いことを塞いでしまうのです。

    特に、韓国に対しては、残酷な七年間の朝鮮征伐や、36年間の強制占領のような大小の侵略により、約400年間の霊的主権を韓国に奪われ、日本は債務国家として支配を受けざるを得ない現実に置かれているのです。即ち、韓国が日本に対し怨み、怨望を抱えている限り、日本は、決して先進国としての発展や、平和な国家建設は不可能なのです。これを克服するには、韓国の許しと、日本の和解が真に成されなければなりません。

    韓国と日本は、反目と対立の関係ではなく、許しと和解を通して未来を準備しなければならない国家なのです。従って日本はもちろん、韓国もまた、心から許してはじめて国家の繁栄と平和があるのです。これまで許せなかった結果、政治や社会的混乱による多くの患難や、また平安を享受できずにいるのです。従って、韓国と日本の両国は、早く互いの真の許しと和解が成されなければなりません。国家間の反目は、このように互いに壊れて駄目になり、そして債務国家は債権国家の従属国家へと陥るのです。従って、ヨーロッパ、中国、日本…等、他の国を支配、または侵略した国は、ドイツのように過去の歴史をきれいに整理しなければなりません。

● 日本は悔い改め、過去の歴史を整理しなければなりません。

    今日、日本が置かれているこの状況を、このまま今のように放置するなら、日本はそのうち先進国から後進国へと急速に没落せざるを得ません。日本が没落を防ぐ方法は、唯一、ニネベの出来事のように、上は王から、下は獣に至るまで、神の前に断食し悔い改め、今の危機を脱出するしかありません。断食とは、聖書に提示されている真の断食です(イザヤ 58:6)。これは他でもない、国家的、個人的に、過ぎし過去の歴史をきれいに整理し、恨み、怨望があれば悔い改め、補償する物は補償しなければなりません。そうして彼らの真の許しを得ることによって、日本は初めて解き放たれるのです。

    それで、日本の右翼の愛国心を持たれる方々へ、特にお願いを致します。人類の歴史が全てそうであったように、日本も、力の論理だけで主張するなら、それは、水の中でたき火をしようと言うような愚かな行為です。真に祖国の為を思うなら、悔い改めに先立つことです。また、ドイツのように過去の歴史をきれいに清算し、周辺国家の感情に触れないことが、日本のための最善の方法であり、国を愛することです。人間の常識では納得し難いことかもしれませんが、真理に立脚したこの方法のみが、日本の没落を防ぐことのできる唯一の方法なのです。ドイツはキリスト教国家ゆえ、神を信じる信仰をもってこの方法に基づいて解き放たれたのですが、現在、偶像の国日本は可能でありましょうか。今、日本の問題を解決する人は、ただ、日本のクリスチャンたちしかいません。

● 教会とキリスト者たちの役割

    キリスト信仰は、律法信仰と霊的信仰の二つの部類に分けられます。霊的信仰というのは、ただ、‘聖霊の教え’ を信じ行う信仰です。それで、イエス・キリストは‘わたしがあなたがたに話した言葉は、霊である’と言われ(ヨハネ 6:63)、霊はいのちであり、肉は何の益ももたらさないと言われたのです(ヨハネ 6:63)。これは、イエス・キリストの霊であられる聖霊が、直接キリスト者たちを、真の知恵、知識、判断、善、悪の分別力…等によって導かれるのです。こうした聖霊の導きが聖書の核心であり、また、聖霊の導きを受ける人をキリスト者と言うのです。

    このように、聖霊が導かれた御言葉を聞くには、教会とキリスト者たちは、神の国に侵入しなければなりません。神の国に侵入するには、信仰と悔い改めによって新しい麻布の衣を着、手段、方法を問わず侵入し、神の御心である天の秘密を見つけなければならないのです。その秘密の声が、まさしくいのちの御言葉であり、全ての問題を解決する救いのカギなのです。もしも、この声を聞けず、見ることができないなら、それを霊的盲目と言い、これに対しては、イエス・キリストの峻厳な叱責の御言葉があります(マタイ 7:21~23)。このように、神のものを見、聞き、天の御心と秘密を見つけ出す人を見張り人と言い、これがまさしくキリスト者たちの役割なのです。

● 見張り人としての役割

    教会とキリスト者たちは、その国を守る見張り人たちです。

    国に問題が生じる前に、神はあらかじめ解決できるよう、主のしもべや教会を通して知らせてくださいます。キリスト者たちは、こうして教会を通して語られたことをそのまま信じ、予備、準備することによって国家の災難や滅亡を防ぐ見張り人なのです。見張り人が神の御言葉を伝えるときは常に、ののしられたり、迫害、反対、悪口雑言を言われるが(マタイ 5:11)、結局は、その御言葉の通り、点の一つまで成就されるのです。もし、見張り人たちが各義務や役割を履行できない場合には、それに対する神の峻厳な警告の御言葉があります。即ち、見張り人が民たちにラッパを吹かなければ、その血は見張り人に全て臨むのです(エゼキエル 33:1~6)。今まで日本のキリスト教が見張り人の役割を果たせなかった理由は、律法信仰の中に閉じ込められていたからです。従って、今から霊的信仰へと成長しなければなりません。そうする時、見張り人としての役割を果たすことができるのです。

    日本のクリスチャン、百余万人は、キリスト者の使役を果たすにおいて、少しも不足のない十分な数です。クリスチャンが多いというのは、主張が多く分離しやすい弱点を持っているため、見方によっては、キリスト教信仰をするのに、世界で最も良い環境にある国であると言えます。にもかかわらず、日本はクリスチャンが少ないせいだとしていたのです。これに対し神は、日本キリスト教が、教会の役割を果たせないことにとても叱責しておられます。また、それによってクリスチャンたちが霊的に成長できず、律法に引きこもり、この境地に至るまで放置したことに対し大変怒られ、残念に思っておられます。

    どの国でも神は、御国とその義のために、必ず霊的教会や霊的しもべたちを準備しておかれます。そのしもべたちは、名もなく光もなく、自国、または人類のために用いられるしもべであるのに、日本キリスト教はその役割を果たせないでいるのです。その結果、それなりに一生懸命やったにしても、しかしそのたましいと体は、相当な神の制裁があったことでしょう。

    聖書はその理由について、霊的、つまり、神の御心をわからず行なった信仰は、どんなに、主よ、主よ、と言って、熱心に数多くの使役を行なったとしても、それは不法であるという衝撃的内容の御言葉が、マタイの福音書に記されています(マタイ 7:21)

● 日本のクリスチャンたちは悔い改めの先頭に立ってください

    ソドムとゴモラは、義人10人さえいたら滅びることはなかったでしょう。それは、10人の義人たちが、真の悔い改めを通してその国家の罪悪を飲み込み、肺臓を通過させ、罪悪と汚れを浄化し、再び唇で吐露することです。そして、公義と正義を、命をかけて叫び、国を正しい道へと導くのです。日本は今、こうした義人が足りないのです。もし、2006年にお伝えした神の御言葉を、日本のクリスチャンたちが聞き、その御言葉の通り行なっていたら、日本は今のような難しい状況にまで陥ることはなかったでしょう。それは、義人50~10人がいないということです。その結果、日本の繁栄と平和が徐々に沈んで行くのです。

    こうして隣の兄弟たちが沈没して行く状況をじっと見ていることができず、安倍総理の政権の初めの頃、日本のために、信仰のしもべたちが言葉も通じない国に行き、ホテル、宿舎を転々としながら、日本の復興と回復のために祈っていました。そして、その年の8月の半ば頃、祈りの最後の段階で入国を阻止され、ひどい屈辱と心に深い傷を負って帰って来ざるを得ませんでした。‘ああ!神は日本に対しこれをも遮られるのか’と、涙で帰って来るしかなかったのです。

    その後、日本の状況は次第に更に悪くなり、総理たちは任期を終えずに変わるという、あり得ないような状況が続きました。また時間が経つにつれ、慢性的な経済不況、地震や津波、火山爆発の懸念、核による恐怖…等、絶え間ない自然災害や恐怖の中に日本は徐々に沈み行き、手に負えない生を営んでいます。今こうした時期に、日本を愛され、再び懇切に願われるイエス・キリストの愛を、日本のクリスチャンたちは、又も拒み、否認することのないよう願っています。神を信じない世の人々や政治家たちに何の誤りがありましょうか。彼らは、与えられた現実に従って熱心に自国の国益のために生きたに過ぎません。問題は、クリスチャンたちが見張り人の役割を果たすことができなかったために、国の危機が迫ったのではないのですか?

    是非、日本のクリスチャンたちが、日本に垂れ下がった、また、何百年続くかわからない墨のように真っ黒い怨みと怨望の雲を見てくれたらと思います。それは、ひたすら信仰を持ったキリスト者だけが見ることができるのです。そして真の涙の悔い改めを通して、国家の難題を解決して行くことができるのです。即ち、クリスチャンたち一人一人の心霊が、真実な悔い改めの心霊へと開かれれば、開かれ、閉ざされていれば、閉ざされているのです。従って日本のクリスチャンたちは、こうした信仰を持って、自国の十字架を代わりに担い、贖罪の羊として悔い改めの先頭に立たなければなりません。

    悔い改めはまず、国家的には、何が隣国から呪い、恨み、怨声、怨望…等を受けているのか、そして次に、個人的には、隣人から判断、定罪、不平、不満…等を受けたことがないか、なぜ受けたのか、また、自分自身が友達、親戚、または隣人を判断、定罪していないか、不平、不満を言ったことが何かあったかを緻密に考えてみて、悔い改めるべきことは悔い改め、補償すべきものは補償することによって、国家的、または個人的に、固く閉ざされた錠を開けてあげなければなりません。こうしてクリスチャンたちがまず悔い改めに先立って行けば、世の人々や政治家たちもそれを見て付いて行くのです。この方法のみが、日本に垂れ下がった墨のように真っ黒い怨みや怨望の雲を取り去ることができるのです。従って今、日本の運命は、信仰を持ったクリスチャンたちの真実の悔い改めと愛にかかっているのです。

    神は、昨日も今日も変わることなく、永遠に生きておられる神であられます。また、全知全能であられ、万物をその法をもって支配し治めておられます。従って、以上言及した全ての御言葉に対し、背き、冒涜、誹謗、また、これ以上、日本の繁栄に反対するたましいに対しては、神の災いと御怒りが臨むでしょう。それによって、この全てのことが、神によって成されたことを悟るでしょう。

我が主よ! 主が託された御言葉を、ここに全てお伝えしました。

この御言葉が、日本の天皇陛下、及び1億3千万人の国民の方々、そして日本の全てのクリスチャンたちの心霊に、そのまま伝達されることを願います。

草はしおれ、花は散る。しかし主の御言葉はとこしえに変わることがない。

永遠に、主に栄光あれ。

ハレルヤ! ハレルヤ! アーメン

( 2012. 9 )

 関連メッセージ 〕