牧会者の苦難は神は知っておられる。しかし・・・

  このメッセージは2007年12月12日、アメリカの新聞、USA today、2008年1月9日、ニューヨークタイムスの広告に載せられた、アメリカの牧会者及び聖職者たちに向けられたメッセージですが、アメリカで多くの反響を呼んでいるため、共に恵みを分かち合いたく、翻訳の許可を得てこのサイトでご紹介するものです。たくさんの恵みがありますよう祈りつつ。


[牧会者の苦難は神は知っておられる。しかし・・・]

 牧会者たちは、キリストの戒めである愛を守ることによって肉の要素を完全に追い出し、愛の旗を心霊に堅く差し、神の国を完成してはじめて霊的使役を果たすことができるのである。こうした愛によって羊たちの咎を覆って包み込んであげるのだ。そうしてあげなければ羊たちは常に不平と不満をぶつけ、切りのない誹謗をもって事々に判断しさばく。ここで牧会者たちのほとんどは、肉の要素に巻かれて倒れてしまう。

 羊たちの誹謗、不平不満は、まるで思春期の青少年たちの反抗のように、何であれ既存のことに反発し、ぶつかるのである。それは力が有り余っているため力を発散する過程であリ、それは羊たちが健康である証拠だ。羊たちはこの力を発散できなかったら腐敗し朽ちてしまう。従って神は、牧会者たちの数知れない涙とため息、苦痛を、誰よりも良く知っておられる。

 特に律法的な牧会者たちの心霊は、苦痛と試練によって真っ黒に炭の塊のように焼け尽くし、皮だけ残っている状態だ。全てのことを心の中でがまんし、忍耐しようとする限界から、いっそうのこと死んでしまいたい心何十回、いや何百回続けたであろう?どこか遠くへ行ってしまいたい。人間たちと垣をめぐらし二度と見ず、一人でしっかりと隠れて生きたい心情を羊たちは理解できるだろうか?

 こうした非常に辛い苦痛の中で、食べること着ることの豊かさに何の満足と暖かさがあろうか。いつも寒くうつろな思い。それでもこの世の尽きる事のない笑い種のような指弾と標的。生きていても生きているようではなく、地に足を置いていても、足が地に着いているのでもない人生。幾多の人間的な背信感の中、人間の汚れたあらゆる属性を赤裸々にわかっていても、愛の中心を守る忍耐と愛だけで行かなければならない胸の塞がり。口があっても弁解してはならないもどかしさ。目で見ても見えないように、聞いても聞かなかったように、全てのことをきれいに消し去らなければならない難しさ。ただ、やがて変わるだろうという、蜃気楼のような希望一つをもって忍耐しなければならない泣きたい思い。こうした泣きたい思いを信仰によって最後まで希望とし、その希望だけを握り戦わなければならないもっと大きな泣きたい思い。このもっと大きい泣きたい思いを掘り起こして、凄絶な産みの苦しみの中で、羊たち一人一人を起こして、立てなければならないのが牧会者たちの人生であり絶対的な使命である。

 そうした中で、開拓教会は物質的苦痛によって、そして教会が成長し大型化すればするほど、牧会者たちの精神的苦痛は形容しがたい。私はどうなったとしても、主の栄光だけは遮られてはいけないという、その非常な重圧感。息詰まる思い。特に教会が大型化するほど増幅する艱難と、数多くの期待の前に、むしろ小さい田舎の教会で静かに余生を終えたいという切実な望み。特にキリスト教のあらゆる牧会者たちの苦痛の中の苦痛は、小さい開拓教会であれ、大型教会であれ、使命感の喪失ほど悲惨で苦しいことはない。この世の如何なる惨状より、自分の生の目的である使命感の懐疑と喪失感は、牧会者にとって死ぬより恐ろしい苦痛である。しかし、この世と羊たちはこうした牧会者たちの苦痛を全く理解することはできない。羊たちはいつも、自分の環境と知識の範囲で何でも要求する。少し逸れただけで羊からやぎに変わり、不平不満に明け暮れ、突き当たり、静かな日が一日もなくトラブルにトラブルの連続だ。そのトラブルの解決は、ただ牧会者の与えられた任務にかかっている。

 こうした苦痛と難しさが、自分の罪によって帰ってくる神の刑罰なら何も言えないが、全てが羊たちの問題によって起こることなのに、その中で神の御言葉を伝え守ることは、殉教の精神でなければできないことである。これが今日と言う現実を生きて行くキリスト教聖職者、及び牧会者たちの人生であり、こうしたとてつもない苦痛の絶叫を神は知っておられる。また、以上のメッセージが更なる苦痛を抱かせることも知っている。しかし、私たち牧会者は何かをもう一度始めなければならない。如何にあれ、人類をこのまま放置することはできないからだ。それは即ち、聖霊充満に帰り、この世に対して光と塩の役割を果たさなければいけない。

 そうして、今日人類に垂れ下がった死と暗黒の喚き、絶叫、勝利者たちの血をしきりに飲む貪欲の汚れた声、恨み、絶望、ため息・・・等の闇を、光と塩によって吸引し、この世を浄化しなければならない。そのために牧会者たちは、ひたすら聖霊に満たされよ。牧会者のあらゆる苦難と苦痛は、聖霊充満だけが、克服し解決する唯一無二の完全な解決策である。そうすることで頑是無い人類の命の道が開かれるのである。

  我が主よ!
全てのしもべたちに恵みを降らせたまえ。